*歌いながら*~続・乳がん闘病記~

2011年6月10日に、乳がんの告知を受けました。このブログは、乳がんの手術を受ける直前から受けた時、その後の闘病記です。 前ブログ→http://singinginthesun.seesaa.net/

斉木 緋冴。の、続・乳がん闘病記へようこそ。
seesaaブログから、引っ越してきました。

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情報としては、大したことはないと思いますが、
毎日感じている「何か」を、綴って行けたらと思います。

不定期更新ですので、それでも良かったら、お付き合い下さいませ。

こんにちは、皆さま。
既にあまり情報が更新されなくなって、ご覧になって下さる方も少ないので、この記事は書くのをためらったのですが、記録なので残しておこうと思います。

昨年12月、「生理が復活!」したことは、この前の記事で触れているのですが、回を重ねるごとに経血の量が増えて来まして、若い頃にもそんなことはなかったのに「ナプキン+タンポンのダブル使い」という布陣でないと、夜が越せないという事態に陥りました。
若い頃も量の多いタイプだったのですが、タンポンが痛いのもあって使用していなかったので、「この歳になってダブル使い?!」とも思ったのですが。
それで、前回の生理の時に生理痛がかなり重かったことと、量が多くて、「経血」というよりももっとさらさらしていて鮮やかな状態だったので、「何だろう……」と思い、子宮がん検診をいつもしてもらっている婦人科に予約を入れ、診察してもらいました。

生理中だったので、エコーと採血をしてもらって、子宮と卵巣の状態は問題なかったのですが、9日に採決の結果を聞きに行ったら、「無排卵周期症」だということを、告げられました。
以下は、Wikipediaからの引用です。
無排卵月経(むはいらんげっけい、Anovulatory cycle)は、月経の周期内に排卵が伴っていない状態。頻発月経、希発月経、過多月経、過長月経、過少月経、過短月経を主訴とし、月経血は消退出血ではなく、破綻出血によるものになるため、1週間以上だらだらと続く出血となることも多い。無排卵月周期症状とも呼ばれる。
概要
無排卵月経はエストロゲンの分泌不足によりLHサージが生じないことにより起こる。LHサージが起こらないため、排卵を伴わない。月経があるため、気づきにくい不妊症の原因となる。月経血の種類は消退出血ではなく、破綻出血のため、だらだらと続く少量の出血が特徴である(後述)。
消退出血・破綻出血
通常の月経では子宮内膜の機能層が増殖し、機能層を維持するらせん動脈が切れ出血する。これを消退出血と呼ぶ。無排卵月経では子宮の機能層が十分に発育しないため、らせん動脈は切れず、細胞のアポトーシスにより機能層が破綻する。これを破綻出血と呼ぶ。破綻出血の場合はすべての機能層が一度に剥がれ落ちるわけではないので、少量の出血がだらだらと続く状態となる。
と言う訳で、wikiによると私は「ストレス過多・体重過多・更年期症状による無排卵月経」で、タイプとしては「破綻出血」の方です。
「低用量ピルで女性ホルモンを補って、排卵を促すことも出来るけれど、乳がんキャリアであることを考えると、再発リスクが上がるのでお勧め出来ない」ということと、「かと言って、止めてしまうと更年期症状のリスクも上がるので、お勧め出来ない」ということを言われました。

結果、「桂枝茯苓丸料」という漢方を、一日三回、食前に試してみることになりました。

この漢方、ものすごく苦い上に、溶けないし口の中で沈んじゃって集まりにくいしで、飲み込みにくいことこの上ないのですけども!
PMS(月経前症候群)もあるので、緩和されたらいいなーと思っています。

***

私は、自分が子どもを授かれないことが生まれる前から決まっていたことだと、知っていました。
小さい頃にはそれを知っていましたし、実際に「子ども産みたい」と思ったことは一切なく、逆に「子ども産むの?! (胎動とか色々)怖い!」とまで思っていました。
甥っ子たちは可愛いですし、よそのお子さんでも、話を聞いたりにこにこしたりしてるのを見るのも大好きですけど、それは自分の身に起こることでないことだから、余計に喜ばしく感じるのかも知れません。
でも、知ってることと受け入れることは、違ったみたいです。
台風のせいか、精神的に低空飛行だからか分かりませんけど、「知っていたのに喪失感を感じる」という、ちょっと意味の分からないことになっています。
逆に言えば、「私も女だったんだ!?」みたいな感じでもあるのですけど。
子孫を残すことは、本能ですからね。

授かれないし、産むこともないと知っていたけど、やっぱりちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、「淡い望み」みたいなものがあったみたいです。
その「淡い望み」みたいなものが、大事に抱いていたものが、空に飛んで行ってしまったみたいな気持ちがしていて、少し、説明出来ない気持ちになっています。
言語化出来るとしたら、「喪失感」が一番近い言葉なのだと思います。

でも、もしその「淡い望み」みたいなものが飛んで行ってしまったのなら、今、赤ちゃんを授かりたくて毎日毎日祈っている誰かのところに、分配されると良いなと思います。
「望み」は、どんなに小さなものでも「光」なので、祈っている人たちのところにほんの少しでも、役立ってくれたらいいなって、思います。

私が大事に抱えていた「淡い望み」という「光」の粒が、この世界に降り注ぎますように……。

こんにちは。
治療が落ち着いてしまうと、更新もどんどん不定期になってしまいますね。
前回から1年と2カ月ほども、空いてしまっていました。
皆様、お変わりないと良いなと思っています。

私は今年の6月10日で、左乳がん告知から丸8年が経ち、9年目に突入致しました。
その前の8年目だった昨年12月、絶対ないだろうと思っていた「月経が復活!」しました……。
閉経したと思っていたんですもの……!
何しろHER2陽性だったので、ゾラデックスで月経を止めて、その後リュープリンやらリュープロレリンやらになって、更に治療が終了してから3年くらい経ってましたし、年齢的にも「ないな」と思っていたのが、「復活!」……。
ホントに、突然戻ってくるんですね。
何の前触れもなく、以前は排卵日と月経前日が猛烈な眠気に襲われていたのですが、それもほぼ自覚がなかったので酷いものではなかったらしく、腹痛も胸が張ることもなく、ある日突然お手洗いに行ったら……、みたいな感じでした。
たまたま実家にいたから良かったものの、自宅で夫とふたりだったら、多分パニクってて生理用品どころの騒ぎじゃなかったと思うので、実家で良かったです。
びば、同性の親。
そんな訳で、8年ほど使うことのなかった間に色々変化と進化をしていた生理用品を選び(どれを買えばいいのかも分からなかったです……、月日の過ぎることの凄さよ)、とりあえず昼用と夜用だけ揃えたのですけど、まあ、出血量はそうでもなかったです、最初でしたし。
回数を追うごとに、「ほんのり頭痛」と「イライラ」と「胸の張り」がちょっと強めだな、と思うことはあって、でも婦人科の医師に聞いたら「周期や量など、安定することはないかと思います」と言われたので、なるほどな、とも思いました。
1回の月経に、2週間くらいかかることもあるし、2週間くらい遅れることもあるしで、正直戦々恐々としておりますけれども、「なかったものが戻ってきた」ことは良いこと……なの、かな?
分かりませんが、「何も出来ないほどの眠気」がたまにやってくるのだけは、頂けないと思っています。
月経を止める以前もそういうたちだったのですが、その頃は独身+実家だったので、「やらなければならないことを放り出して寝る」ことが出来たので、その分気楽だったなぁとは思います。

月経が戻るということは、再発リスクが上がるということなのかな、と思っています。
特に私はHER2陽性のがんキャリアですし、今は色々あって大分体重も増えてしまったので、その点でも気を付けなければなりません。
主治医は「良かったじゃないの」と言っていましたけど、本当に良かったのかは分かりません。
ただ、女性ホルモンって関節の潤滑剤みたいなものとかも関係しているようで、冬にギシギシいっていた手の指の関節は、この前の冬は少し良かったです。

あ、次の定期健診、来年の1月か2月なのですけど、前回から数えて1年後になりました。
月日が流れるって、そういうことなんだな……って、思うこと沢山の「乳がんサバイバー」9年目です。

不定期更新になって久しいですが、皆さまお変わりなくお過ごしですか?
私は、今日0時に「告知から8年目」がスタートしました。

昨日の23時20分頃になって、「( ゚д゚)ハッ! 今日、7年目の最後の日じゃん!」と焦りました。
他のことに気を取られ過ぎていて、自分のことばかりに集中しないようになったことは、良いことだなと思うのですが、でも、この日を忘れてはいけなかったと思います。
私が「命を繋ぐ闘い」を始められた、記念日だったので、思い出せて良かったです。

8年前、自分でも気づかなかった異変を見破ってくれた夫に、GJをあげます!
異変を感じて早々に病院に駆け込んだ私も、GJでした!
「じゃあ、マンモの予約入れるね」と言われたけれど、「でも痛いんです」とその場で訴えた私は、GJでした!
痛い検査を何度も乗り越えて、「十中八九、乳がんだろう」の状態で治療を始めた私も、GJでした!

8年前、流されずに全ての判断をした私がいなかったら、今の私はいませんでした。
そして、夫(当時は彼氏でした)が異変に気づいてくれていなかったら、今の私は心も体もともに、恐らくここにはいません。
8年前の時点で治療を始めて居なかったら、命を落としていた可能性がなかったわけではないと思っています。

家族にGJ!
夫にGJ!
友達にGJ!
親戚にGJ!
医療関係者の皆様にGJ!

そして何より、8年間投げ出さず、突き進んできた自分に、花丸GJ!ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

えらい!
やった!
よくがんばった!
花丸爆発大放出!!!ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

これからも、半年に1回の経過観察はありますし、その度に骨粗鬆症の検査とか、年に1回のマンモ&エコーもあります。
でも、生きていくためですから。
元々「生きたい欲」というか、強く「生きていたい」と思っているタイプではないのですが、今は、守りたい存在(インコちゃんです)も一緒に生きたい存在(夫です)もいます。

大切に大切に、「命」を燃やしていこうと思います。

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