*歌いながら*~続・乳がん闘病記~

2011年6月10日に、乳がんの告知を受けました。このブログは、乳がんの手術を受ける直前から受けた時、その後の闘病記です。 前ブログ→http://singinginthesun.seesaa.net/

2012年06月

頑張ってきたこと、褒めて欲しいなって思うのは、
贅沢なことなのかなって、思います。
小さい頃からそうだけど、褒めてくれる人が居なかったから、
「誰かに褒めて欲しい」って思うことは、贅沢なのです。

……でも、今回は、褒めて欲しかったなぁって、思いました。

ハーセプチンが終了した日、ちょっとだけと思って、
梅酒を炭酸水で割って、飲むことにしました。
父は、父の日にプレゼントしたビールを飲むと言ったので、
ビールと、梅酒のソーダ割りを持って、リビングで待ってました。
母も誘ったけど、母は飲まないと言ったので。

乾杯、してくれるんだと思ってました。
父を待っていても、ビールを飲みに来てくれなかったので、
「飲まないの?」と催促したら、ビールを取りに来ました。
父は、多分、PCで大切なことをしていたんだと思います。
だから、乾杯してくれなくても仕方なかったのだと思います。

……それでも、乾杯、したかったなぁって、思いました。

長い1年だったと思います。
家族にとっても、私にとっても。
途中で、小さい家族を失ったこともありました。
感情が暴発して、家族に当たってしまったこともありました。
でも家族が居なかったら、1年乗り越えてくることも出来ませんでした。

だから、乾杯、したかったです。
「頑張ったね」って、褒めて欲しかったです。
「頑張って来れたよ」って、労いたかったです。

でもそういうのって、通じないんですね。
言わなきゃ分からないって、よくいろんなところで言われますが、
言っても分からないだろうなって思うので、言わないで終わります。
今まで、そうして積み上がってきたので。

褒めて欲しいなとか、労って欲しいなとか、思ってしまうのは、
私が子供だからなのかなって、思いますが……辛いです。

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今日の点滴で、ハーセプチンの1年間の投与が、
無事に終わりましてございます!ヽ(´ー`)ノバンザーイ

勿論、ホルモン治療はあと丸々4年間残っていて、
お腹にシモヤケの痕が、毎月増えていくことになりますが、
それでも、一つの治療が終わったということは、
区切りになるのではないかな、と思います。(*´∀`)

乳がんという病気は、発見してから(私の場合は)抗がん剤を受け、
手術を受け、放射線を受け、ホルモン治療を受けながら、
何年も何年も、自分と向き合うということをしていく病気です。
他の部位のがんも、同じことなのかも知れませんが、
特に若くして、がんの治療を受けている方たちは、
生きていくことについて考えることが、半ば必然となってきます。

命を延ばすのも、命を縮めるのも、自分次第です。(`・ω・´)

私は太っているから、ダイエットするのが「治療」なのです。
お酒大好きだけれど、飲むのを控えるのが「治療」なのです。
甘いモノ大好きだけれど、程ほどにするのが「治療」なのです。

「我慢」と「辛抱」は違いますからね。(`・ω・´)

悩んでいたポートのことは、この先腫瘍マーカーを見るために、
毎月採血するのと、ゾラデックスを打つのを同じ日にしてもらえば、
ヘパリンを流すためだけに通院するのでないので、楽かな、と。
やっぱり、看護師さんたちに申し訳ない思いをするのも嫌だし、
「申し訳ないな」と思ってる看護師さんを見るのも、嫌なんですよね。
せめて、ゾラデックスの間は維持していこうかな、と。

あと、ダイエットの観点からは余り芳しくないですが、
「お祝い」という点から見れば、「乾杯」くらいは良いんじゃない?と。
2階の看護師さんがですね、言って下さいました。(*´∀`)

妹が、「久しぶりに地ビールレストランに行きたい」と言ってたので、
次に妹夫婦が帰ってくる時は、出来たら彼も一緒に、
みんなで行きたいなーと思っています。(*´∀`)♪

ハーセプチン終了、おめでとう、私。
がんばってくれて、ありがとう、私。

そして、挫けないで来れたのも、周りで支えてくれた家族や、
親族、彼や友人たちのお陰です。

ありがとう。

まだまだがんばるよー!(`・ω・´)

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先日、ゾラデックスを打って貰いに行ったついでに、
「そろそろハーセプチン、終わりですか?」って聞きました。
あと一回で、終わりだそうです。

……あれ、1年そんなに早かったっけ?(;・∀・)

早いですねー、1年……。(;・∀・)

帰り道、母と彼と、妹にメールでお知らせしたのですが、
みんなバンザイしてくれて、嬉しかったです。(*´∀`)

まあ、ハーセプチンが終わったら終わったで、
中心静脈ポートを、除去するかどうかという重大な問題が、
残っているのですけどね。

私、左の腕でしか採血出来ない人だったのですけれど、
左は術側なので、なるべくなら採血しない方が良いらしいのです。
「する人も居るから大丈夫だよ」って言われましたが、
やっぱりちょっと、怖いじゃないですか。(;´Д`)
そもそも右で採れるかというと、怪しいですしね……。

ポート、維持するのにどのくらいお金が掛かるのかしら。(´・ω・`)
場合によっては、除去した方が良いのだろうけど、そしたらまた、
「採血出来ないよー」って、看護師さんを泣かせるだろうし。

困ったなー。(´・ω・`)

あ、「生理?」と思っていたのは、「不正出血」だったようで、
これからも、時々あるかも知れないそうです。
何の情報もなく、突然来たので「生理?」と思ってしまいましたが、
正しくは「不正出血」なのですねー。
カルテにも、そう書いてあるのを見ました。(←盗み見)

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映画「愛と誠」のPRで、斎藤工くんがはなまるに出てました。
彼の役どころである男の子が、映画の中でこう言うそうです。

「君のためなら死ねる」。

……その後、女の子を守るのは、別の男の子ってことですよね。
そんな微妙なことを言われる、主人公の女の子の気持ちは、
計り知れない(微妙な方向で)なーと思いました。(;・∀・)

場面、状況にもよると思うんですが、誰かのために命をかける……。
そのことと、母に「願掛けをするなら、『代わりに私を』と言っては、
後々意味がなくなるからね」という、助言をして下さった、
妹の同僚のKさんの言葉が、重なりました。

表面上、「君のためなら死ねる」と言われたら、「この人に、
そこまで思ってもらっているのだ」と、感激するかも知れません。
でも、その相手が、本当に死んでしまったら、その後の長い人生は、
一体誰と過ごし、誰を守り、誰に守られて生きるのでしょう……?

願掛けをする時、「代わりに私をお召し下さい」と言うのは、
美しい行為かも知れません。
でも、いざという時に、置いて逝かれてしまう側に立って見たら、
「誰も身代わりにはしたくない」と思います。(´・ω・`)

その点で、「君のためなら死ねる」が、もの凄く引っ掛かります。

解釈の仕方は人それぞれですし、映画を観た訳でもありません。
ですから、「それは違うんじゃない?」と思われる方も、
少なからずいらっしゃるんじゃないかと思います。

それでも、「君のためなら死ねる」と言われたら、私なら引きます。
どん引きですね。(;´Д`)

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2011年6月10日(土)。
私が、若年性乳がんステージIIaと、告知された日です。
あれから、昨日で1年が過ぎました。
もう1年?という感じです。

祖母が、乳がんを患っていた(死因は膵臓がん)ことを、
だいぶ後になってから、母に聞かされたのですよね。
精神疾患に関しても、遺伝的な因子がある病気ですので、
母は「負の遺産を追わせてしまった」と言っていました。
私は、「父が可哀想だなぁ」と思っていましたけれど。

私は、妹ではなく、私で良かったと思っています。
降りかかる災難が、私の方にだけ降ってくるのなら、
妹は幸せに暮らせるのではないかと、思っているので。
まあ、そう簡単にはいかないでしょうけども。

抗がん剤で、色々なところがぼろぼろになっていたのに、
まず皮膚が潤って、ささくれとかなくなっていきました。
それから、顔に産毛が生えてきました。
眉毛や睫毛が、抜けてから生え替わりました。
髪の毛が生えてきました。
指先も、保護しなくても良いくらいに、爪も良くなりました。

まだまだ、通常の状態ではありませんが、日一日と、
爪が伸びたり、髪が伸びたりといった実感が、あります。
まだ、針仕事をしたりするのには、時間が要りますけど。

一年って、振り返るとあっという間ですよね。
本当に、あっという間で、そのスピードにびっくりします。

速すぎて。

だからこそ、「人生悔い無し!」と言えるようになるまで、
「乳がん二年生」になった今からでも、突っ走りますよ。

座右の銘は、「やらないで悔やむよりも、やって悔やめ!」。
いつか、無に還る日が来るのですから、悔いの無いように。

綺麗にきらきら、無くなっていけるように。

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